11月 日記

秋の奈良(飛火野で撮影)

目次
●雑感(22日)

●高月が高槻、高槻が高月だった?(18日)

●赤福問題(13日)
(私が編集しておりました季刊誌「Brain Trust」で赤福経営を特集、以来、赤福について講演もし、大変、評価しておりました。それだけに今回の偽装問題には大きなショックを受けました。それで以下のようなコラムをまとめました。

〔お知らせ〕
 友人からお知らせのメールが届きました。ぜひ、ご覧ください。
 恒例の番組のお知らせです。12月9日(日)24時30〜25時30(※正確には日付の変わった   月曜日の 深夜0時30分〜です。 
   映像07「(仮)判決の日」(今回は、1月に放送した過労死をテーマにした番組の続編です。)

 「雑感」
 
 情けない経営者ー船場吉兆、クリモトに見る

 いくつか、思いつくままに書いておきたい。まず、吉兆や最近、報じられているクリモトの偽装問題について、情けないと思っている人は多いはずだ。

 船場吉兆の湯木取締役や社長のインタビューをTVで見ていて、これがあの吉兆かと思った。まず、偽造問題では、すべて現場のやったことで、経営陣は知らないことだという発言である。

 仮にそうであっても、パート、派遣社員、正社員の区別なく、自分たちが雇用している以上、すべての不祥事はトップの責任だという自覚がない。このような経営者のもとでは安心して働けない。経営者失格である。

 また、東京や京都吉兆の経営者が「自分たちとは関係がない、それぞれ独立している」と、いかにも船場吉兆と違うことを強調している。冗談ではない。同じロゴの「吉兆」ブランドを使っている以上は、全体の責任であるという自覚が欠落している。

 事業継承で、息子や娘に家督を継がすときに、株式を分散したり、店ごとの継承をすることが多い。いずれの場合もコーポレートガバナンスをしっかりしておかないと、創業者の死後、騒動になることはよくあることである。

 私は、創業者が5人の子供にそれぞれ店を持たせて運営させたことに、事業継承の失敗の原因をみる。同じ「吉兆」を名乗っているが、お客側からは、すべての店が同じ品質、味、サービスを維持できるのかという疑問がおこる。おそらく、そうした努力をしていないから、先のような発言になるのだろう。

 だいたい、高級料亭が店の料理以外に加工品やおせち料理、弁当等に拡大して、安易に利益拡大を狙ったところに落とし穴があった。ブランド力だけに頼ったのである。
 コンビニの弁当とか、居酒屋チェーンの残りもの処理はコストがかかる。ある居酒屋チェーンではそれを肥料に再利用して自家農園で使うなど、大変な苦労と工夫をしているのである。

 クリモトの偽装問題は深刻である。社長は40年前からやっていたことで、自分たちは何も知らないと会見で述べていた。そういう発言をすること自体、恥ずかしいと思わない感覚にあきれる。ここは不詳事件を連発していて感覚が麻痺している。

 一般にサラリーマン社長の場合、要領のいい、八方美人型が多いので、確たる信念が感じられない。他人事のようだ。
 これも現場のことだからと、逃げている。少し前の話だが、朝日新聞でカメラマンが珊瑚礁に自ら落書きをして偽情報を流したことがある。これを現場のしたことだと片付けたら、新聞社の信用は地に落ちる。トップは責任をとって辞めた。
 
 サラリーマン社長がトップの座にしがみつくのは、いったん辞めると、高額の給与、秘書、車などがなくなることを恐れているためだ。それにひきかえ、赤福などオーナー型の経営者は辞めても株式を保有しているし、関係会社のトップについているので、そうした心配がない。ただ、名誉が傷つくだけで、それも日にち薬で、世間もいずれ忘れる。

 ある中小企業の成功秘話
 
 ある中小企業経営者の創立40周年と本社ビル竣工披露パーティにでかけ、後日、数人で懇談の機会があった。この経営者は技術者の脱サラで独立、40年間で敷地80坪(大阪市近く)に4階建ての本社ビル(いずれも自社所有)と、岡山に4億円を投じて自社工場を所有している。社員は総勢35名である。

 これだけの資産形成に貢献したのは、好奇心が旺盛、人脈が多く、発明熱心といったことが、ある製品(鉱山、製鉄で使う特殊な部品機械)を生みだしたのである。この技術は科学技術庁長官賞や黄綬褒章を受賞していることからも、高く評価されている。これまで、他の製品分野にも乗り出したが、いまは元の製品の改良品で多忙をきわめている。

 中国へ移設することもなく、国内で踏みとどまっていることからも、その技術に自信が感じられる。懇談の席で、成功した要因を聞いた。

 「伏見で呉服と雑貨用品の店をやていた親父について、商売というものを徹底的に学んだことです。呉服を京都・室町で仕入れるときは、必ず買ってくれる見込みの客を想定して仕入れる。失敗がないのです。
 
 またネクタイを大阪の問屋で一本500円のものを三本仕入れたら、まず一本に1500円の値札をつけてショウウインドウに飾るのです。これが売れると元は取れます。ネクタイはそうそうに売れないから、長く取り置きしなければなりません。それらが売れると、すべて利益になるのです」と。この人には商売のセンスと技術力の二つが備わっていたことが分かる。




高月?

 
滋賀県にJR高月駅がある。先日、仕事で行った。大阪から新快速で2時間かかる。私は京都から新幹線ひかり号で米原で北陸線に乗り換え、高月へ向かった。

 約束の待ち合わせ時間の2時間前に着いた。初めての町なので、少しでも町の情報を入手しようと思ったからだ。
 
 駅に着いたのが、正午だった。まず、昼食にインターネットで調べておいた「渡岸寺庵」に入った。駅から400mのところで、渡岸寺(どうがんじ)に隣接している。
 庵はしもた屋風の食堂である。テーブルには予約客の「ごりやく弁当」が並び、席がないように見えた。一つのテーブルだけ2〜3人分の席があいていたので、「そこでよかったら、どうぞ」と、店の女主人にすすめられた。ほかに食事するところもないようなので、意を決して座った。
 「ごりやく弁当」は、すべて予約で売り切れで、うどん類しかなかった。店内に貼ってあるメニューに「名産 鮎すし」とあったので、それを注文した。赤だしと、すしで1,000円と少し高い気がした。食べてみると、結構、おいしかった。

 渡岸寺観音堂(向源寺)に国宝の十一面観音菩薩が展示されているので入った。300円である。高月は花と観音の里としてPRしているだけに、十一面観音はざっと三十体はあるようだが、国宝はこの一体だけだという。
 
 確かにこの観音は実に美しい姿を見せていた。心が洗われた。一見に値する。これを見るため、いまの季節、多くの人がやってくる。書名は忘れたが、井上靖の小説に滋賀の十一面観音の話が出てくるものがあるが、それを思い出しながら、午後のひと時を楽しんだ。

 この地域は琵琶湖の北部で、長浜、余呉に近い。湖北田園空間博物館と銘打って街づくりをしている。博物館の展示物は自然の風物だという。
 
 その昔、「ハンノキ」という樹木が田んぼの尾根に植えられ、稲穂を干していた。駅の観光コーナーにその写真が展示してあるが、実にいい風物詩だ。農作業の機械化でこの木がじゃまになると、いまではすべて消滅しているという。
 どこかに復元したらすばらしい被写体になるのにと、思った。

 いよいよ今日の本題の「高月は高槻、高槻は高月」について書いておこう。初め「タカツキ」と聞いたとき、大阪の高槻を浮かべた。滋賀にタカツキがあるとは、今回,訪れるまで知らなかった。

 パンフに高月の地名は、古代、槻(ケヤキ)の大木があることから高槻と呼ばれてきた。平安時代、歌人がここを訪れ、月の名所として歌を詠んだところから高槻を高月に改め、村名にしたそうだ。年寄りは昔の村名「高槻」を好む人が多いと聞く。

 観光コーナーの係員に聞くと、大阪の高槻は元々、高月だったのが、高槻になったという。北陸線に乗ると、昨年までは直流から交流に切り替わるので、車内が一時的に電灯が消える。JRは昨年、直流一本に改修したので、新快速が敦賀まで走るようになり、ここ高月にも停車する。

 JRの要請で集客に力を入れており、大阪の高槻との交流も始めている。町では花(コスモス)の栽培もすすめている。またケヤキ(槻)10選を指定、その関わりを説明している。

 ここは昨年のNHK大河ドラマ「功名が辻」の舞台になったところで、史跡も多い。長浜、木之本にも近く、またゆっくり来たいところである。(11月16日の日記)


【渡岸寺庵−表の木に漬物用の大根が吊るしてあった】

【渡岸寺の本堂】

 
老舗経営の死角

中国の諺に「創業は易く、守成は難し」(『貞観政要』)とあるように、事業を興すよりも継続していくことがはるかに難しいという教えである。赤福の偽装問題はそのことを改めて教えてくれた。

これまで数多くの老舗経営者をインタビューしてきたが、300年の歴史を誇る赤福では特筆に値する秘法に驚嘆した。赤福は問屋を通さず、約350箇所の店に直納している。朝の5時に作り、箱詰めして配送する。「品質管理10」ということで、作ってから10時間以内に売り、それ以後のものは回収するシステムを確立している。

あんこと餅は1箇所の工場で前日に作る。350箇所の販売店への割当量は、16の地域拠点で予測を立て決める。日によって、また天候次第で客数が増減する。これまで日々の駐車台数、国道を走る県外ナンバーの車数、フェリー乗り場の客数、近鉄の特急券の枚数など、あらゆるデータを積み重ね毎日、調整しながら誤差を極小化して販売予測数の精度を上げている。

赤福の商品は赤福餅1品のみである。それで年間100億円前後の売上、20数%の経常利益を計上しているところにすごさがある。それを可能にしているのが予測システムで、店では「明日中には召し上がってください」と、店員が必ず声を掛ける徹底ぶりである。

市場はお土産としての値打ちを保持するため、名古屋〜大阪間の駅売店、ターミナル百貨店等に限定。餅にあんこをのせただけのシンプルな和菓子でこれほどのブランド力を発揮しているのは新鮮さと美味しさである。今回の偽装事件で一番の悪徳商法は、いったん工場出荷させた商品を回収して再出荷させた点にある。食品メーカーなら、「もったいない」ということで、この誘惑がたえず働く。これを絶対に守るには勇気がいる。その勇気を支えるのが企業の使命感と経営理念である。

同社の創業は宝永5年に京都・山城屋から出版された枕草紙『美観蒔絵松』に赤福の屋号が挿絵にあるので、その1年前の宝永4年とし、今年で300年を迎える。普通、地域の名産菓子は京都の八つ橋、広島のもみじ饅頭のように地域ブランドでメーカーは群雄割拠で激しい競争をしている。赤福餅の商号は商標権ができた時にすべて買い取り、1社独占となった。戦後も原料の砂糖、小豆、米が統制品となり、ヤミ市場に10種類の粗悪類似品が出て凄まじい競争となった。

名門の老舗が狙われたので、「このままでは先祖に恥をかかせる」として、しばらく開店休業、昭和28年、株式会社に改組、再出発した。終戦まもない頃、経営の神様といわれた松下幸之助氏を最高顧問に迎え、経営指導を仰いだこともあった。それほどの名門老舗で新鮮さを売物にしていたところが、「どうして?」という疑問を今回の偽装問題で多くの人、とくにファンは抱く。

守成の経営は事業を継続することである。赤福は餅作り一筋だが、別会社で「おかげ横丁」商店街をはじめ、数々の事業を手がけている。それを可能にしていたのが赤福の高収益力であった。どうしても欲が出てその維持に拘泥してしまう。そこに落とし穴があって欲への誘惑にはまってしまったとしか思えない。

守成には代々、トップに優秀な人材が続かないと行き詰る。現社長は11代目で先代の長男。社長就任わずか2年でこの苦境に立たされた。まだ若いから必死で再興に励むと思うが、そのためには原点である赤福の社訓「赤心慶福(赤福の屋号はこれからきている)という、真心で尽くす」を今一度、肝に命じ分限経営に徹するしか道はない。